「Haruspex(ハルスペクス)」は、ラテン語で「内臓を見る者」を意味し、日本語では臓卜師ぞうぼくし腸卜僧ちょうぼくそうとも言います。
古代ローマやエトルリアで活躍した占い師の一種で、動物の内臓、特に肝臓を調べることで、神々の意思を読み取っていました。

Relief depicting sacrifice in front of the Temple of Jupiter Capitolinus in Rome.
ローマのユピテル・カピトリヌス神殿前の犠牲を描いたレリーフ(左下が牛の内臓を調べるハルスペクス)
Piranesi in Rome, accessed July 8, 2024,
http://omeka.wellesley.edu/piranesi-rome/items/show/208

ハルスペクスの概要と仕事内容

ハルスペクスは、生贄として捧げられた動物、主に羊や鶏の内臓、特に肝臓を観察し、その状態から神々の意思を読み取る占い師だったのです。
その技術は「haruspicy(ハルスピシー(肝占))」と呼ばれ、宗教的儀式や重要な決定を行う際に不可欠な存在でした。

内臓観察

ハルスペクスは儀式の一環として、動物(通常は羊や牛)を生贄として捧げ、その内臓を詳細に観察しました。
特に肝臓の形状、色、血管の配置に注目し、異常がないかを確認しました。
例えば、肝臓の特定の部分が腫れていたり変色していたりすると、それは神々からの警告や指示と解釈されました。

Foie de Plaisance
ピアチェンツァの肝臓
羊の肝臓を模した青銅製の遺物で、ハルスペクスが占いの習得に使用していた。
表面には神々の名前が刻まれている。
Shonagon, CC0, via Wikimedia Commons

天候や自然現象の観察も行った

ハルスペクスの占術のメインは内臓観察ですが、それに加えて雷や鳥の飛び方などの自然現象も観察しました。
これらの兆候を総合的に分析し、神々の意志を解釈していました。
その助言は政治にかなり影響を与え、政策の決定や軍事行動の方向性に利用されました。

宗教的儀式と助言

ハルスペクスの助言は、ローマの政治において重要な役割を果たしました。
執政官や元老院は重大な決定を下す前にハルスペクスの意見を求めました。
また、ローマ帝国の皇帝たちもハルスペクスを信頼し、国家の重要な儀式の際には彼らの助言を重視しました。

戦争や遠征の際、将軍たちは戦闘前にハルスペクスの占いを重視しました。
ハルスペクスの占いが戦闘の結果を予言することができると信じられていたため、その助言は戦略の決定に影響を与えました。

農民たちもまた、ハルスペクスの助言を求めることがありました。
特に、種まきや収穫の時期を決定する際には、ハルスペクスの占いが重要視されました。
助言に従うことで、豊作や災害の回避が期待されました。

服装

ハルスペクスの服装がうかがえる銅像が残されています。

高さのあるフェルトの帽子が特徴で、儀式中に司祭の帽子が落ちると不吉な前兆とされたそうです。

どのような人がハルスペクスになれたのか

Votive Relief of Haruspex Caius Fulvius Salvis
ローマのヘラクレス神殿のハルスペクスを描いたレリーフ
Jamie Heath, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons

ハルスペクスになるには、下記のような条件を満たす必要がありました。

  • 男性であること
  • 若いころから訓練を受け、長年の経験と知識を積んでいること
  • エトルリア貴族であること

男性であること

ハルスペクスとして活動していたのは主に男性でした。
古代ローマやエトルリアでは、宗教的な役職は男性が担うことが多かったのです。

一般庶民向けに占いを行う女性のharuspicaも存在しましたが、国家の決定にかかわるような地位にはなれず、嘲笑や不信の対象となっていました。

若いころから訓練を受け、長年の経験と知識を積んでいること

古代ローマ時代のハルスペクスは、国家的に認められた職業でした。
ハルスペクスになるためには、長年の教育と訓練が必要でした。
若い頃から宗教的儀式や占いの技術を学び、経験を積むことで一人前のハルスペクスとなることができたのです。
ハルスペクスの教育は口伝によるものであり、家族や師匠から直接学ぶことが一般的でした。

エトルリア貴族であること

もともと、ハルスピシー(肝占)とはエトルリアの土着宗教から生まれた占術です。
エトルリアは紀元前8世紀~紀元前1世紀ごろにイタリア半島にあった国家で、その後はローマの支配下にはいっています。

Etruscan civilization map
紀元前750~500年頃のエトルリアの領土
NormanEinstein, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

エトルリアのハルスペクスは、その技術を精緻に磨き上げ、宗教的儀式や日常生活で重要な役割を果たしました。
エトルリアの影響を受けて、ローマ帝国でもハルスペクスの技術が採用されました。
特に紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけて、ローマではハルスペクスが非常に重視されました。
ローマの政治家や将軍は、重要な決定を下す際にハルスペクスの助言を求めました。

ハルスペクスは主にエトルリア人やローマ人で構成されていました。
彼らは社会的に高い地位にあり、尊敬される存在でした。
真に尊重されるハルスペクスになるには、単に技術を身につけるだけでなく、ハルスペクス団体の一員として認められる必要があったのです。
つまり、エトルリア貴族の男性という特定のアイデンティティを満たすことが求められたのです。
ただ、エトルリアが次第にローマへと一体化していく中で、必ずしもエトルリア出身でないといけないという条件は薄れていったようです。

ハルスペクスの収入レベルは?

ハルスペクスの具体的な収入は不明ですが、貴族階級・国家の中枢に近いということを考えると、裕福な暮らしをしていたと考えられます。

古代ローマやエトルリアの一般市民の生活は、現代の基準から見ると質素であり、多くの人々が農業や手工業で生計を立てていました。
農民や労働者の所得は不安定で、日々の生活は厳しいものでした。
彼らは基本的な食糧や住居を確保するために働き、多くの場合、贅沢品を手にする余裕はほとんどありませんでした。

一方、ハルスペクスは宗教的儀式や重要な決定に関与することで報酬を受け取り、時には国家や裕福な市民からの贈り物や供物も得ていました。
西暦1~2世紀ごろには、国によって60名のハルスペクスから成るコレギウム(組合のようなもの)が結成されています。
国が公的な組織を作ったということは、ハルスペクスが高い社会的地位を持っていたといえるでしょう。

ハルスペクスが衰退した理由

キリスト教の台頭

ローマ帝国では4世紀にキリスト教が公認され、その後国家宗教として定着しました。
動物の生贄を捧げ、その内臓から神意を読み取るハルスペクスの行為は、キリスト教の教義と相容れないものでした。
キリスト教は一神教であり、多神教に基づく占いや予言を否定しました。
そのため、ハルスペクスのような職業は異教的なものと見なされ、徐々に廃れていきました。

ハルスペクスは、ローマ帝国の衰退期にも活躍し、5世紀の「テオドシウス法典」や6世紀の歴史家ヨハネス・リュドゥスの記述にも登場します。
キリスト教の国教化によって次第に影響力を失っていったものの、その神秘的な占いの技術は、中世に至るまで水面下で脈々と受け継がれていきました。

社会と文化の変化

ローマ帝国の社会と文化も変化しました。
科学的思考や哲学の発展により、内臓占いのような非科学的な手法は徐々に信頼されなくなりました。
ハルスペクスの神秘的な占いは時代遅れのものと見なされるようになったのです。
教育の普及により、人々は理性や論理に基づいた判断を重視するようになりました。

政治への悪用

共和政末期から帝政初期にかけて、将軍や皇帝がハルスペクスの予言を政治的に利用する事例が相次ぎました。
スッラやカエサルなどは、私的に雇ったハルスペクスの言葉を根拠に、自らの政策の正当性を主張したといいます。
このような政治利用への反発から、ハルスペクスへの信頼は次第に失われていきました。

法律の整備

キリスト教が国家宗教として定着する過程で、異教的な儀式や占いを禁止する法律が制定されました。
例えば、コンスタンティヌス1世の時代には、異教の祭祀や占いを禁じる法律が施行されました。
これにより、ハルスペクスの活動はさらに制限され、廃れていきました。

ハルスペクスの問題点は何だったのか

ハルスペクスの技能には、いくつかの問題点がありました。
まず、動物の内臓を読み取るという行為自体が、非科学的で迷信的なものと捉えられがちでした。
合理的思考を重視するローマ人の間では、次第に疑問視されるようになったのです。

また、ハルスペクスが神々の意思を正しく伝えているのか、という点も問題でした。
前述のように、私的に雇われたハルスペクスが、雇い主に都合の良い予言をする可能性は十分にありました。
ハルスペクスは政治的に利用される危険性を孕んでいたのです。

さらに、占いのたびに動物が生贄となることも問題視されました。
ギリシャやローマでは、人間の死体の内臓も使用されることがありました。
こういった倫理的な疑問が、次第に大きくなっていったのです。

ハルスペクスにまつわる逸話

カエサルの「3月15日」

Vincenzo Camuccini - La morte di Cesare
ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作『ジュリアス・シーザーの死』、1805年頃
Vincenzo Camuccini, Public domain, via Wikimedia Commons

共和制ローマの軍人であったカエサル(シーザー)は、スプリンナというハルスペクスに「『3月15日』に注意せよ」という予言を受けます。
そしてその通り、3月15日に暗殺されてしまうのです。

この逸話は、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』にも取り入れられ、「Beware the ides of March(3月15日に用心せよ)」という台詞は広く知られるようになりました。

ローマとエトルリアの戦いの裏側で

Panoramica Lago Albano
占いの舞台となったイタリアのアルバーノ湖
Livioandronico2013, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

エトルリアがローマ配下になる前は、ローマとエトルリアは敵同士でした。
紀元前393年のローマとウェイイ(エトルリアの南端の都市)との戦いでは、ウェイイのハルスペクスが湖の水位を見て戦いの行方を占っています。
ウェイイにあるアルバーノ湖は、雨が降っていないにもかかわらずなぜか水位が高く上昇していました。
ハルスペクスは湖の水位が高いままであれば難攻不落だと予言しましたが、それを知ったローマ軍が排水トンネルを建設し、ウェイイは陥落してしまいました。

フランス王妃の死を予言

Jean Lulvès - Catharine de’ Medici and the Alchemist Cosimo Ruggieri
カトリーヌ・ド・メディシスとルッジェーリ、ジャン・ルルヴェス作、1867年
Jean Lulvès, Public domain, via Wikimedia Commons

キリスト教国教化により衰退していったものの、ハルスペクスは中世まで細々と受け継がれていました。
イタリアのメディチ家からフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが重用していた占い師コジモ・ルッジェーリ(またはコモ・ルジェリ)は、占星術師として有名ですがハルスピシーの使い手でもあったと言われています。

ルッジェーリはカトリーヌに「サン=ジェルマンの近くで死ぬ」と予言していました。
カトリーヌはそれを気に病み、サン=ジェルマンに近いテュイルリー宮殿の建設を中断します。
ある日、病に臥せっていたカトリーヌのもとに、告解を聞きに司教が訪れます。
彼の名はジュリアン・ド・サン=ジェルマン。
それを知ったカトリーヌは、自分の死を予感したという逸話があります。

ハルスペクスを描いた作品

小説『The Forgotten Legion』(2002)

チェルシー

ローマ時代に奴隷として生まれ、数奇な運命をたどる双子の話。作中に予言を行うハルスペクスが登場します。作者はアイルランドの作家・Ben Kane。

ゲーム『Destiny 2』

チェルシー

オンライン専用のアクションRPG・FPSゲーム。ゲーム中に称号「腸卜僧」が登場します。

カードゲーム『マジック:ザ・ギャザリング タルキール覇王譚』(2014)

チェルシー

世界で一番売れているトレーディングカードゲーム。
「不気味な腸卜師/Grim Haruspex」が登場します。

AIで再現!ハルスペクス

AIに描いてもらったハルスペクス
AIに描いてもらったハルスペクス
AIに描いてもらったハルスペクス
AIに描いてもらったハルスペクス
AIに描いてもらったハルスペクス
AIに描いてもらったハルスペクス

古代すぎたのか、写真ではなく絵になってしまいました。

まとめ

ハルスペクスの歴史をたどることで、私たちは占いや宗教と社会の関わりについて考えさせられます。
非科学的な予言に頼ることの危うさ、宗教の政治利用の問題、動物犠牲の倫理的な疑問。
これらは、現代にも通じる重要な課題と言えるでしょう。
合理的思考を大切にし、理性に基づいた社会を築くこと。
ハルスペクスの盛衰は、私たちにそのことを改めて問いかけているのかもしれません。

参考資料