かつて煙突掃除人(あるいは煙突掃除屋、煙突掃除夫とも)は、家庭の暖炉を清掃し火災を防ぐ重要な役割を担っていました。
石炭や薪を燃料とする暖炉が一般的だった時代、煙突に溜まった煤(すす)やクレオソートを取り除くのが彼らの仕事でした。

※クレオソート…タール状の黒い液体。放っておくと煙突が詰まったり、これに引火して火事になったりする。

シュヴェリーン城の屋根の煙突掃除人
シュヴェリーン城(ドイツ)の屋根の煙突掃除人、1983年
Bundesarchiv, Bild 183-1983-0201-009 / Wolfried Pätzold / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons

煙突掃除人の仕事内容は?どんな人が煙突掃除人になっていた?

煙突掃除人の仕事内容

煙突掃除人は、住宅や商業施設の煙突を点検し、安全基準に従って煤を掃除します。
彼らは専用の掃除道具を使い、時には煉瓦積みや煙突の内張り修理なども行っていました。
屋根に上り、煙突の中に入って作業をするため、体力と危険を伴う仕事だったのです。

Two young children with chimney sweeping tools
煙突掃除用の道具を持った二人の幼い子供たち(1870年ごろ?)
Menétrier, of Dôle and "pour sauver ma mère de la misère" See: Ayrolles and Ménétrier, Public domain, via Wikimedia Commons

イギリスの場合

煙突掃除人はヨーロッパ全土に存在したが、特にイギリスで盛んでした。
産業革命期のロンドンでは、1,000人以上の煙突掃除人が働いていたと言われています。

Hoxton skyline - geograph.org.uk - 870312
ロンドンの煙突のある住宅。細くて数が多い
ceridwen / Hoxton skyline

主に、孤児や貧しい家の子どもたちが煙突掃除人として働いていました。
もともとは、死亡率の高い孤児院の子どもたちに食事や住居を割り当てるために、徒弟制度(日本で言う年季奉公。親方のもとに弟子が住み込みで働く)により「人道的に」斡旋された職業でした。
しかし、徒弟となった後の子どもたちの待遇が調査されることはなかったため、多くの子どもたちが過酷な労働環境にさらされることになりました。

Bub und Meister
19世紀末のイタリアの煙突掃除の親方(右)と弟子の少年
Museo Sonogno, Public domain, via Wikimedia Commons

煙突の中は細くて狭く、曲がりくねっているため、体の小さい子どもたちが重宝されました。
例えば下の図は、地下室のある4階建ての建物の煙突および煙道の断面図です。

煙道の断面図
地下室のある4階建ての家の煙道7本の断面図
Joseph Glass, Public domain, via Wikimedia Commons

この図では1暖炉に1煙突ですが、当時のイギリスでは煙突が増えるほど税金が上がるため、複数の暖炉を煙道で接続し、複雑に入り組んだ仕組みをしていました。
暗い煙突の中で道を間違えると、出られなくなって窒息したり、燃えている暖炉の煙道に出てしまったりして焼死することもあったのです。

Climbing boys in chimneys
左側は移動可能な煙突掃除人。右側は滑って挟まってしまった煙突掃除人。こうなると引きずり出してもらうしかない。
Clem Rutter, Rochester, Kent., CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

煙突掃除人たちは、夜中のうちから起き始め、朝の暖炉の火がつけられる前、朝4時ごろから働き始めました。
仕事終わりは夜の10時ごろまで、1日の労働時間は12~17時間にも及び、休みもほぼありませんでした。
1年のうち、休日はメーデーぐらいでした。
このため、メーデーは煙突掃除人の祝日とも呼ばれています。

子どもたちは小さな煙突に入りやすいよう、体がなるべく大きくならないよう、食事は最低限しか与えられませんでした。
体力面を考慮すると6歳以上の子どもが煙突掃除に適しているとされていましたが、特に幼い子どもでは、3歳の煙突掃除人もいたそうです。

1930年代の3歳の煙突掃除人の少年。
一緒にいるのは父親。
一端の職人然とした振る舞いは微笑ましいが…

また、煙突掃除人の子どもたちの中には女の子も含まれていました。
大人まで生き延びれば、女の子でも親方になった者もいたといいます。

アメリカの場合

アメリカにも煙突掃除人がいました。
主に従事したのは、黒人奴隷の少年たちでした。

Studio portrait of young chimney sweeps, by Havens, O. Pierre 1838-1912 (crop)
黒人少年の煙突掃除人
New York Public Library, Public domain, via Wikimedia Commons

しかし、アメリカでは早い段階で防火監視員が存在していたため、煙道が広く、家の主人が自分で掃除することもよくありました。
小さくて高い煙突が多かったロンドンの煙突掃除人の方が過酷だったと言われています。

煙突掃除人の収入と当時の物価

ヴィクトリア朝時代(1800年代後半)の場合、煙突掃除人の給与は低く、日給は数ペンスでした。
子どもの煙突掃除人には、賃金が支払われないこともありました。
親方になれば、年間20ポンド(=400シリング=4,800ペンス)ほど収入があったそうです。

そして、当時の物価がこんな感じです。

  • 家賃(週あたり):約6シリング
  • 一週間分の朝食:約1シリング8ペンス
  • 一週間分の夕食:約5シリング

こう見ると親方もあまり余裕がなさそうですが(年間に直すと、夕食だけで260シリングになる)、定期的に地域の家庭や企業から依頼を受けることができている場合は、比較的裕福に暮らせたようです。

社会への影響と衰退の理由

煙突掃除人は、家庭の安全と健康を守るために欠かせない存在でした。
しかし、19世紀後半になると、子供の煙突掃除屋の劣悪な労働環境が社会問題化しました。
彼らは狭い煙突の中で窒息死することもあり、煤にまみれることにより呼吸器疾患や目の病気、さらにはがんにかかるリスクも高かったのです。

Spazzacamini Milano 1900
1900年ごろ、ミラノの煙突掃除人の子どもたち
de:Landesmuseum Zürich, Public domain, via Wikimedia Commons

煙突掃除人の癌

煙突掃除人の職業病ともいえるのが、「煙突掃除人の癌」とも呼ばれた陰嚢がんです。
狭い煙突の中を掃除するために、煙突掃除人たちは時には裸で煙突の中に入ることもありました。
また当時は毎日風呂に入る文化でもなく(特に労働者階級は)、年に1回の入浴という人も珍しくなかったのです。
衛生状態の悪さと、煤の中に含まれる発がん性物質(※)に子どものころから皮膚が何度もさらされることから、多くの少年たちが思春期になったころにがんが発症しました。

※コールタールとおそらくヒ素と言われている

煙道での窒息や焼死を免れたとしても、多くの少年たちがこのがんに苦しみました。
煙突掃除人の子どもたちが10代を超えて大人まで生きることができるのは、稀なことでした。

この「煙突掃除人の癌」ががんであるとわかるまでは、医師は性病と判断して、治療のために患者に水銀を与えていました。
しかし水銀は免疫系を阻害し、がんの進行を早める結果となっていたのです。

イギリスの児童労働規制の歴史

こうした問題を受け、イギリスでは徐々に児童労働に対する規制が進んでいきます。

1788年
Chimney Sweepers Act(煙突掃除人法)制定

8差未満の子どもを働かせることを禁止

1834年
煙突掃除人法

14歳未満の子どもを働かせることを禁止

1840年
煙突掃除人および煙突規制法成立

21歳未満の者に煙突掃除をさせることが禁止

1864年
煙突掃除人規制法

調査委員会の報告で、未だに少女を含む5歳から14歳の数千人の子どもが煙突掃除人として働かされていることが発覚。罰則のなかった1940年の法律に、違反者は逮捕の罰則追加

1875年
煙突掃除人法

すべての煙突掃除人は警察に登録することが義務付けられ、監督されることになった

こう見ると、搾取しようとする人だけではなく、なんとかして子どもたちの待遇を改善しようとがんばっていた人もいるのだなぁと思わせられますね。

現代の煙突掃除人

20世紀に入ると、ガスや電気が主要な暖房手段となり、煙突掃除の需要は徐々に減少していきました。
とはいえ現在でも完全に消滅したわけではなく、薪ストーブ人気などから専門業者は存在しています。
もちろん過酷な児童労働ではなく、特殊な掃除機なども使うプロの仕事人です。

煙突掃除人にまつわる逸話

煙突掃除人は幸運のシンボル?

煙突掃除人にまつわる有名な逸話としては、イギリス国王ウィリアム1世が、暴走馬車から煙突掃除人に命を救われたという伝説があります。

King William I ('The Conqueror') from NPG
イングランド国王 ウィリアム1世
National Portrait Gallery, Public domain, via Wikimedia Commons

国王は恩返しとして、煙突掃除屋を娘の結婚式に招待しました。
以来、煙突掃除人は幸運のモチーフとなり、出会うと幸せになると言われたり、結婚祝いや新年のお祝いのカードのモチーフとされるようになりました。

Spazzacamini Glückbringer Como ca. 1906
オランダの新年カード。富裕層の子どもに祝福を与える煙突掃除人たち
de:Landesmuseum Zürich, Public domain, via Wikimedia Commons

富裕層の家庭は、ときどき「幸運のお守り」として煙突掃除人の少年たちを食事に招待することがありました。
しかしイタリア出身の元煙突掃除人ジェンティーレ・ディ・ピエトロが後に述懐したところによると、煤だらけの顔を洗うことも許されず、見世物のような状態でテーブルにつかされるのは屈辱だったといいます。

煙突掃除人の衣装の秘密

煙突掃除人というと、シルクハットに燕尾服のような衣装で描かれることも多いですが…

Spazzacamini con scale - 38 Raduno Internazionale dello Spazzacamino - Santa Maria Maggiore, VCO, Piedmont, Italy 2019-09-01
2019年、イタリアのサンタ・マリア・マッジョーレで開催された第38回国際煙突掃除人集会で、歴史的な道具や衣装を着た煙突掃除人たち
Mænsard Vokser, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

なぜこのような衣装になったかというと、葬儀屋の衣装をお古でもらっていたから。
煤で黒く汚れるため、もともと黒い葬儀屋の衣装が都合がよかったそうです。

イギリスの詩人が描いた生々しい児童労働の実態

イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクは、児童労働の実態を告発する目的で「煙突掃除屋」という詩を発表しました。
この詩は、過酷な環境で働かされる子供の煙突掃除屋の姿を生々しく描いており、当時の社会に大きな影響を与えました。

William Blake by Thomas Phillips
トマス・フィリップスによるウィリアム・ブレイクの肖像画(1807)
Thomas Phillips, Public domain, via Wikimedia Commons

詩は2部構成で、前半はある煙突掃除屋の子ども時代、後半は大人になってからの視点で書かれています。
以下は、機械翻訳による日本語訳です。

Songs of Innocence and Experience Copy L 1795 - The Chimney Sweeper
「煙突掃除人」(『無垢の歌』より)
William Blake, Public domain, via Wikimedia Commons

母が亡くなったとき、私はまだ幼かった。
そして父は、私がまだ舌を
出して泣くこともほとんどできないうちに私を売りに出した。
だから私はあなたの煙突を掃除し、煤の中で眠る。

小さなトム・デイカーがいて、
子羊の背中のようにカールした頭を剃られた時に泣いたので、私は言った。静かに
しなさい、トム、気にしないで。頭がむき出しになっていれば、
煤で白い髪が台無しにならないと知っているだろうから。

そして彼は黙っていた。そしてその夜、
トムが眠っていると、こんな光景が目に飛び込んできた。
何千人もの掃除夫、ディック、ジョー、ネッド、ジャックが
全員、黒い棺桶に閉じ込められていた。

すると、輝く鍵を持った天使がやって来て、
棺桶を開け、全員を解放した。
それから彼らは緑の平原を飛び跳ねながら笑いながら走り、
川で体を洗い、太陽の下で輝く。

そして裸で真っ白になり、荷物を全部後に残して、
雲の上に昇り、風に戯れる。
そして天使はトムに、もし彼が良い子であれば、
彼は神を父親に持ち、喜びに欠けることはないだろうと言いました。

それでトムは目を覚まし、私たちは暗闇の中起き上がり、
バッグとブラシを持って仕事に向かいました。
朝は寒かったのですが、トムは幸せで暖かかったです。
ですから、もし全員が義務を果たせば、害を恐れる必要はありません。

「煙突掃除人」(『無垢の歌』より)
Songs of Innocence and of Experience, copy L, 1795 (Yale Center for British Art) object 41 The Chimney Sweeper
「煙突掃除人」(経験の歌より)
The William Blake Archive, Public domain, via Wikimedia Commons

雪の中の小さな黒いもの:
悲嘆の音色で泣け、泣けと叫ぶ!
あなたのお父さんとお母さんはどこにいるの?言ってください。
二人とも教会へ祈りに行っています。

なぜなら私は荒野で幸せで、
冬の雪の中で微笑んでいたからです。
彼らは私に死の服を着せ、
悲嘆の音色を歌うように教えてくれました。

そして私が幸せで、踊り、歌っているので、
彼らは私に何の害も与えていないと思っています。そして 私たちの悲惨さから天国を作り上げた
神とその司祭と王を賛美するために行っています。

「煙突掃除人」(経験の歌より)

前半は、親に売られて煙突掃除人になった「私」の仲間が見た夢の内容が語られています。
夢の中では、同じ煙突掃除人の子どもたちが何人も亡くなっていて、天使によって救い出されています。

後半は、大人になった「私」が、両親が教会に行っている間に雪の中に置き去りにされた子どもの煙突掃除人と遭遇しています。
また「死の服」つまり死装束を着せられていること、教会=「神とともにいる」という解釈もできることから、すでに亡くなっているとも考えることができます。

古い時代の詩なので回りくどく難解な表現ですが、どちらも、煙突掃除人の子どもたちが過酷な労働により死に向かっているという悲しい運命を描いています。
ウィリアム・ブレイクは、「現世での苦労が死後に報われる」という教会の見解を批判し、年端もいかない子どもが搾取されている現実を暴いているのです。

煙突掃除屋を描いた作品

映画「メリー・ポピンズ」(1964)

監督:ロバート・スティーヴンソン、製作国:アメリカ、キャスト:ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイクほか

あらすじ
ロンドンに住むバンクス氏は、娘ジェーンと息子マイケルのために“厳しい乳母”を捜していました。ところが、“優しくて若くて美人で親切”な乳母を求める子供たちの願いが届き、ある朝、パラソルを開いた女性が東風に乗って現れます。その名はメリー・ポピンズ。彼女がやって来た途端、子供たちは大喜び。大道芸人のバートと美しい絵の国で遊んだり、空中に浮いたままお茶会を楽しんだり…。しかし、いつも気難しいバンクス氏は、メリー・ポピンズをよく思っていません。はたして、メリー・ポピンズは、バンクス氏の心を見事にほぐすことができるのでしょうか?

ディズニー公式「メリー・ポピンズ」
Mary Poppins3
ディック・ヴァン・ダイク演じるバート
Trailer screenshot, Public domain, via Wikimedia Commons

チェルシー

アカデミー賞5部門を受賞した実写アニメーション・ミュージカル・ファンタジー映画。
ディック・ヴァン・ダイク演じるバートが歌う「チム・チム・チェリー」が歌曲賞を受賞しています。
同曲は「陽気な煙突掃除屋さん」といった歌詞ですが、哀愁のあるメロディと相まって類まれな名曲となっています。
ちなみに煙突掃除屋さんはバートの数ある職業のうちの一つで、本業は大道芸人だそう。

アニメ「ロミオの青い空」(1995)

監督:楠葉宏三、キャスト:折笠愛、藤田淑子、岡村明美、川村万梨阿、檜山修之、池田昌子ほか

あらすじ
19世紀後半・イタリアの国境に近いスイスの小さな村で少年ロミオは、貧しくも家族で幸福に暮らしていた。しかし一家の畑を悪人の陰謀で失ってしまい、ロミオは家計を助けるために、自らを人買いに売りミラノへ煙突掃除夫としてやって来る。きつい煙突掃除の仕事や親方一家の辛い仕打ち、地元の不良少年団「狼団」との争いなど、ロミオにとって厳しい毎日が続くが、親方の娘アンジェレッタの励ましや親友アルフレド、煙突掃除の仲間たちと助け合って暮らしていく。そして仲間と共に「黒い兄弟」を結成し、強く友情を誓うのだった。

NIPPON ANIMATION「ロミオの青い空」

チェルシー

日曜の19:30というゴールデンタイムに、真っ向から煙突掃除人を描いた作品。
世界名作劇場でありながら、多くの女子を沼に落とした罪作りなアニメです。
筆者のクラスメイトも放送当時、呪文のように「アルフレド…アルフレド…」とつぶやいていました。
原作はドイツの作家リザ・テツナーによる『黒い兄弟』。

児童文学「水の子どもたち」(1863)

主人公は煤だらけの煙突掃除の少年・トム。施工先でエリーという名前の上流階級の美少女に遭遇し、彼女の家から追い払われ、川に落ちる。そこで彼は溺れ、「水の赤ちゃん」に変身する。そして、トビケラが彼の道徳教育を始める。

物語のテーマはキリスト教の「償還」、貧乏人へのイギリス国家の仕打ち、児童労働など。

Wikipedia「水の子どもたち」

チェルシー

イギリスの牧師チャールズ・キングスレーによる児童文学小説。
イギリスではとても人気がありましたが、アイルランド人、ユダヤ人、カトリック教徒、アメリカ人などに対する侮蔑的な表現(偏見)も数多く含まれる(書かれた当時は普通だった)ため、英国以外では人気がありません。

AIで再現!煙突掃除人の少年たち

AIに、ビクトリア朝時代の煙突掃除人の少年たちを再現してもらいました。

AIに描いてもらった煙突掃除人の少年
AIに描いてもらった煙突掃除人の少年
AIに描いてもらった煙突掃除人の少年
AIに描いてもらった煙突掃除人の少年

というわけで、実はトップの写真はAIが描いたものでした!
色がついていないと本当に歴史の資料写真みたい。

AIに描いてもらった煙突掃除人の少年
AIに描いてもらった煙突掃除人の少年

人数が増えると、「顔の煤」などのディテールが消えがち。

これらはAIが描いた架空の煙突掃除人たちですが、実際にこんな子たちがいたのかもですね…。

まとめ

児童労働の象徴とも言える煙突掃除人の歴史は、産業革命期の厳しい労働環境と社会の変化を如実に表しています。
人々の快適な生活を支えるため、悲劇的な運命をたどった貧しい子どもたちが何人もいました。
職業病や栄養失調により、短命に終わる子どもたちも少なくなかったのです。
歴史を振り返ることで、私たちは社会の進歩とともに改善された労働環境の重要性を再認識することができます。

参考資料