かつて、医学の発展を影で支えていた闇の職業がありました。
それが「ボディスナッチャー(死体泥棒、あるいは死体盗掘人)」です。
彼らは、墓から死体を掘り出し、解剖のために医学校に売っていました。

Body snatchers at work, Old Crown Inn, Penicuik
死体泥棒の活動。スコットランド、ペニキュークのパブの壁に描かれた絵
Kim Traynor, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ボディスナッチャーの概要と仕事内容

ボディスナッチャー(Body snatcher)は、主に17〜19世紀のイギリスや北米で盛んでした。
当時、解剖学の発展に伴い、医学校では多くの死体が必要とされていましたが、合法的に入手できる死体は処刑された犯罪者のものに限られていたのです。

キリスト教と解剖の関係

キリスト教では、いつか来る世界の終わりの時に、すべての死者が復活し、「最後の審判」を受けると考えられています。
復活するためには体が必要。
そのため、キリスト教圏では土葬が主流です。

1752年のイギリスの殺人法(殺人防止法)では、殺人罪を抑止するために「殺人を犯した者は、埋葬を許さず、公開解剖または絞首刑に処されるべき」とされています。
埋葬を許さないというのは、最後の審判の時に復活させないという意味。
絞首刑はこの当時公開処刑で、娯楽のない時代に見世物としての役割があり、多くの場合死後の拷問を伴いました。
死後の拷問は死者に対する冒涜であり、これにより死者は天国に行くことができなくなると考えられていたのです。
このような考え方から、解剖も「ただの死よりも不名誉な罰を与える」というような意味合いでした。

こんな時代に、望んで解剖されたいというような人はほとんどいません。
医者にとって解剖用の死体の確保というのは、非常に困難なものでした。

ボディスナッチャーの横行

そこで、医学校はボディスナッチャーに死体の調達を依頼するようになりました。
ボディスナッチャーは、墓地から死体を掘り起こし、馬車で運んで医学校に売るのが主な仕事でした。
死体そのものは法的に誰のものでもないため、それを盗むというのは法の抜け穴をついた行為だったのです。
彼らは「Resurrectionists(復活者、あるいは蘇生師)」とも呼ばれていました。

Resurrectionists by phiz
復活者(1847年)、ハブロ・ナイト・ブラウン作
Hablot Knight Browne, Public domain, via Wikimedia Commons

ボディスナッチャーは主に貧しい人々の墓を狙いました。
イギリスでは貧民層の、アメリカでは貧民層とアフリカ系アメリカ人の墓が主なターゲットでした。
特にロンドンやエディンバラといった大都市には医学校が多く、組織化されたボディスナッチャーが活動していました。
彼らは夜間に2〜4人のチームで働き、棺を完全に掘り起こすのではなく、頭の方に垂直に穴を掘って死体を引き上げる手口が一般的でした。
ただし副葬品を持ち去ることは違法だったため、死体が着用している衣服や宝石などは元に戻し、死体だけが持ち去られました。

ボディスナッチャーの生活水準と所得レベル

ボディスナッチャーの多くは貧しい階級出身でしたが、短期間で高収入を得られる仕事でした。
1体の死体で2〜20ギニー(1ギニーは21シリング)を稼ぐことができたのです。
当時の一般的な労働者の週給が5シリング程度だったことを考えると、その8~80倍です。
かなりの高収入だったことがわかります。

ただし、その分リスクも高く、暴動に巻き込まれたり、警察に捕まる危険もありました。

社会への影響

医学生にとってのボディスナッチャー

医学生にとって、医療発展のため解剖用の死体の確保は必要なことでした。
医学校が毎年必要とする死体は最大500体にも達したといい、年に数十体程度しか供給されない重罪人の遺体だけでは到底まかなえるものではありませんでした。
また、解剖にあたっては、死体が新鮮でなければいけないという条件もあり、入手は困難を極めました。
需要が供給をはるかに上回る状態だったため、医学生たちはボディスナッチャーに頼らざるを得なかったのです。

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ウィリアム・ホガース作「残酷の報酬」(『残酷の4段階』より)(1751年)
外科医が犯罪者を解剖している場面
William Hogarth, Public domain, via Wikimedia Commons

とはいえ、医学生全員が納得していたわけではありません。
遺体を損壊することへの嫌悪感や、遺族の感情を逆なでする行為だという認識から、ボディスナッチャーに否定的な学生もいました。

しかし、一部の医学生は、自らボディスナッチャーの活動に関与しました。
1887年、ボルチモア大学の解剖学博士が飲酒をした上で医学生3名を伴い、若い黒人女性の死体を掘り起こして調達しています。
彼らは「解剖のため」という目的もありましたが、ゲーム感覚で墓荒らしを行ったのです。

また、身内を亡くしたばかりの学生の元へ、その身内の遺体が供給される悲劇もありました。
1862年、カナダのマギル大学の解剖実習のために、2人の医学生が新鮮な女性の遺体を掘り返して調達してきました。
しかし、実習生の一人であった学生がその遺体の正体に気づきます。
「おばさんじゃないか!」
しかも、実習にはいとこ、つまりおばさんの息子も参加する予定なのです。
解剖室はパニックになりました。
学生は気を失いそうになりながらも、いとこが母の遺体と気づかなくてすむよう、顔の皮膚を外科的に除去するように他の学生に頼みました。
いとこが解剖室に到着する前に「処置」は終わり、遺体の顔は判別できない状態になりました。
その甲斐あって、息子はその遺体が「誰であるか」に気づくことなく、実習にとりかかることができたのです。

ボディスナッチャーの活動による影響

ボディスナッチャーの活動は、医学の発展に大きく貢献しました。
解剖学の知識は飛躍的に向上し、外科手術の技術も上達しました。
しかし一方で、死者への冒涜として非難され、遺族の感情を著しく害しました。
大事な人の遺体が盗まれないように、墓地では夜通し見張りが立つようになり、棺に鉄格子をかぶせたりもしました。

Mortsafe, Greyfriars Kirk
エディンバラ、グレイフライアーズ教会の墓地にある棺を守る鉄格子。
モートセーフ、あるいはモーケージという。
Kim Traynor, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

1832年、イギリス議会は「解剖学法(Anatomy Act)」を制定し、重罪人だけでなく、救貧院などで亡くなった身寄りのない貧困者の遺体も解剖に提供されることが許可されました。
これにより、医学校が合法的に死体を入手できるようになり、ボディスナッチャーの存在意義は失われていきます。
法制定後もしばらくはボディスナッチャーが横行していましたが、1844年までには遺体の取引が行われることがなくなりました。

ボディスナッチャーの歴史は、医学の発展と倫理のジレンマを浮き彫りにしています。
彼らの活動なくして現代医学の発展はなかったかもしれませんが、それが多くの人々の感情を踏みにじる結果となったのも事実です。

ボディスナッチャーの問題点と有名な逸話

ボディスナッチャーの活動には、多くの問題点がありました。
まず、墓荒らしは死者に無礼を働く行為であり、遺族の感情を逆なでするものでした。
また、彼らの中には、死体の需要に応えるために殺人を犯す者もいました。

バークとヘア連続殺人事件

19世紀初頭、イギリスでボディスナッチャーとして精力的に活動したウイリアム・バークとウイリアム・ヘアがいました。
二人は計17人の遺体をエディンバラ医学校の解剖学者ロバート・ノックスに売りました。
しかし、そのうち16人は彼らが殺害した被害者のものだったのです。

Hare and Burke drawing
ヘア(左)とバーク(右)
See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

下宿を営んでいたヘアの家で、ある下宿人が亡くなったことをきっかけに、二人は死体売買を始めます。
高額の謝礼に味を占めた二人は、他の下宿人、老女、その孫、娼婦、物乞いなど、次々と殺人を犯していきました。
二人の上客だったノックスは、それが殺人によって得られたものだと知りながら、黙認していました。

Robert Knox72
エディンバラで解剖学を教えているノックスの肖像画(1830年頃)
Desmond A. 1989. The politics of evolution. p78, Public domain, via Wikimedia Commons

しかし、解剖に立ち会った医学生が遺体の顔に見覚えがあったことがきっかけとなり、1828年、ついにバークとヘアは逮捕されます。
ヘアは自供により釈放されましたが、バークは有罪となり絞首刑、その後遺体は公開解剖に使われました。

Execution of Burke
バークの公開処刑を描いた当時の版画(1829)
Unknown authorUnknown author; searches have been unable to identify the specific artist. These included in the book within which the image was published and general internet searches, Public domain, via Wikimedia Commons

ノックスは有罪にはなりませんでしたが、世間の批判にさらされることになります。
この事件を受け、1832年の解剖学法制定へとつながっていくのです。

死体泥棒が集うパブ

ロンドンの中心部スミスフィールドに、かつて「The Fortune of War」というパブがありました。
ここはボディスナッチャーが集うパブとして有名でした。

「The Fortune of War」は、テムズ川の北にあり、「溺死者を受け入れる場所」として指定されていたことがあります。
勝手に死体が運ばれてくる場所だったため、ボディスナッチャーたちはよくここで待機してしました。
さらに都合のいいことに、「The Fortune of War」のすぐ隣は1123年に創立された歴史ある聖バーソロミュー病院。
かつては、パブの壁の周りにボディスナッチャーの名前が書かれたベンチが置かれ、そこに死体が並べられ、聖バーソロミューの外科医たちが駆けつけて鑑定するのを待っていたと言います。
「The Fortune of War」のあった建物は1910年に解体されていて、現在はその姿を見ることはできません。

余談ですが、聖バーソロミュー病院(通称バーツ)の化学実験室は、シャーロック・ホームズとワトソン博士が初めて出会った場所としても知られています(小説『緋色の研究』にて)。

ボディスナッチャーを描いた作品

映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)

監督:ドン・シーゲル、製作国:アメリカ、キャスト:ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンターほか

あらすじ

ある日、病院に1人の男が錯乱状態で搬送されて来た。その男マイルズは医師に対し、自分が遭遇したという奇妙な出来事を語り始める。

カリフォルニア州のとある小さな町で開業医を営んでいるマイルズは、学会から数週間ぶりに帰ってきた時、町の様子に違和感を覚える。一見いつもと変わらない町の人々の様子が、まるで人が変わってしまったかのように、どこかおかしいのだ。

調査を進めたマイルズは、やがて戦慄の事実を知る。町は宇宙から来た未知の生命体によって侵略されており、人々はそれに肉体を乗っ取られてしまっていたのだ。

マイルズはこの戦慄の事実を全世界に知らせるべく、恋人のベッキーと共に町からの脱出に奔走する。

Wikipedia『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』

チェルシー

「ボディスナッチャー(死体泥棒)」という言葉を広めた映画。ジャンルとしてはSF。1978年(『SF/ボディ・スナッチャー』)、1993年(『ボディ・スナッチャーズ』)、2007年(『インベージョン』)と何度もリメイクされています。
当時日本では劇場未公開ですが、「文化的、歴史的、または美的に重要である」としてアメリカ国立フィルム登録簿への保存対象に選ばれています。

映画『死体解剖記』(1959)

監督:ジョン・ギリング、製作国:イギリス、キャスト:ピーター・カッシング、ジューン・ラヴェリック、ジョージ・ローズほか

19世紀初頭のイギリス。解剖学者のノックスは、研究のために死体を必要としていた。
しかし合法的に入手する手段が限られており、ノックスは墓掘人から盗まれた死体を購入していたのだ。
そのうちに男たちは浮浪者を殺して売りつけることを考える。

Amazon『死体解剖記 [DVD]』

チェルシー

前述の「バークとヘア連続殺人事件」を映画化したもの。1963年に日本でも公開されました。公開当時はそれほどヒットしたわけではないようですが、近年カルト映画として再評価されつつあります。

小説『トム・ソーヤーの冒険』(1876)

チェルシー

児童文学として名高い「トム・ソーヤーの冒険」にも死体泥棒が登場します。作中に登場する悪役インジャン・ジョーは、死体を盗むために真夜中の墓地を訪れ、そこで殺人を犯してしまいます。トムと親友のハックはそれを目撃していて…。

AIで再現!ボディスナッチャー

AIにヴィクトリア朝のイギリスのボディスナッチャーを再現してもらいました。

AIに描いてもらったボディスナッチャー
AIに描いてもらったボディスナッチャー
AIに描いてもらったボディスナッチャー
AIに描いてもらったボディスナッチャー

白黒だと歴史資料感ありますよね。

AIに描いてもらったボディスナッチャー
AIに描いてもらったボディスナッチャー

映画の1シーンみたい。

まとめ

ボディスナッチャーの歴史は、医学の進歩と人間の尊厳のバランスの難しさを物語っています。
彼らの存在は、私たちに生命倫理について考えさせずにはおかないのです。
医学の発展を止めることはできませんが、だからこそ、倫理的な配慮を怠ってはならない。
ボディスナッチャーから学ぶべき教訓は、今も色褪せることなく、私たちに問いかけ続けています。

参考資料